瀬尾光世[2](計107分)

総スタッフたった4人、瀬尾が独力で約15万枚の動画を描いた『桃太郎の海鷲』と、敗戦間際に公開された日本初の長篇作品『海の神兵』はいずれも戦争アニメーションの白眉とされる。後者では、落下傘部隊のシーンのため実際の動きを徹底研究し、降下の扉から強い光線が飛び込んでくるカットでは国産動画で初めて透過光を使用するなど、リアリズムの表現が特徴的である。この『海の神兵』で「燃えつきてしまった」と語った瀬尾は、『王様のしっぽ』(1949年)を最後に動画の仕事から引退し、絵本作家となった。
桃太郎の海鷲(‘42・33分・35mm・白黒)
海の神兵(‘45・74分・35mm・白黒)
日本アニメーション映画史より)